心のともしび 1日一編の法話
日蓮聖人はある熱心な信者の奥さんにあてて上記のような手紙を送り、病弱であったその女性(富木尼御前)を励ましています。
「病気でない人でも、無常の道理を逃れる事は出来ません、あなたはまだ若く熱心な法華経の信者であるのだから寿命を全うできない事はないです」
日蓮聖人は富木尼御前が後妻で病弱であるという状況を考え、その状況が彼女を臆病にし体調を悪くしているのはないか?と考えこのような内容の手紙を送りました。
よく「病は気から」といいますが、日蓮聖人はこのことを知っていたのでしょうね。
人は良くない事がつづくと気分が落ち込み、塞ぎがちになります、そんな時はくよくよ考えず、明るい未来を考えましょう。
”ポジティブシンキング”で毎日元気に過ごしましょう!
日蓮聖人は「始めたら最後まで信心を貫くべきだ、途中でやめれば後悔するだろう。」
と、又別の文章では「鎌倉から京都までの道のりは歩いて十二日、十一日で歩くのをやめてしまえば京都の月を眺める事は出来ないだろう」とも述べられております。
何かを始めたら結果ばかりではなく、其の過程で得られる経験やスキルも大切な要素であるけれど、最後までやり抜くことで得られる達成感と満足感には及びません。
また達成感からは最後までやり遂げたという自信も生まれます。
今年もあと2か月足らずになってきましたが、今年中に何かをやり遂げる目標を持つものいいですね。
食べることにも事欠くような貧しい生活をしていた日蓮聖人のもとに、信者から沢山の食べ物が送られてきました。その時の信者へのお礼状の一文です。
餅が沢山あって、私たちが住んでいる大地が広大であるならば、米から頂く恩への感謝を誰が感じるでしょうか? 誰も感じません。 という意味です。
日蓮聖人のこの短い文章は、現代に生きる私たちが、今まさに噛みしめなければならない言葉です。
世界中には今日も食べるものがなく飢えて死んでいく子供たちが沢山います。
一方では今朝も北朝鮮からのミサイルが発射されています。ミサイルが海に落ちれば一体どれくらいの魚が死んでしまうのでしょうか? 恐ろしいことです。
水もエネルギーも無限ではありません。
当たり前のように消費をしている生活は、本当は大地からのありがたい恵みによって支えられているという事を考えて生活しなければなりません。
日蓮聖人はこの言葉の前に、人が最も恐れる事は火炎に包まれること、刀剣に怯える事 死ぬこと・・・であるという意味の事を言っておられます。
つまり、「人間の命ほど大切な物はないのに、取るに足らない世間のことで大事な命を失うひとは多い、仏法のために大切な命を失うのは難しい」という事です。
確かに最近毎日のよう報道されている戦争によって若い命が失われています。 徴兵されて亡くなる兵士は決して自分の意志によって戦地に赴いたものではないのです。
殆どの兵士たちは平和を望み、戦争に意義を見出せないまま、尊い命を散らせています。 かつて日本でも同じような悲惨な戦争で多くの若者が亡くなりました。本当に悲しいことです。
先日の韓国でもハロウィンでの人込みでの事故、インドでのつり橋の崩落事故 本当に沢山の惨劇が起こっている昨今、自分の身にいつ何が起こるか分かりません。
だからこそ、自身の楽しみや、生きがい、全力を注げる何かを見つける事が限り有る人生を豊かにすることになるのです。
日蓮聖人は、元の襲来や全国的な飢饉など数々の災の原因は 日本が仏陀の本質を見失ってしまっているからだと激しく指摘し、そのことで幕府や世間から迫害を受けることになりました。
「己が気色の・・・・」の言葉は、浮気をされた女性が相手の女性のことを怒りにまかせ、恐ろしい目をしていると非難しているのですが、それを非難している自身の顔はよもっと恐ろしい鬼のような形相になっているという意味です。
日蓮聖人の生きた時代ではなくこのようなことは現代でもよくあることですよね?
人の非難をする前にまず自分の行いを省みる事も大切です。
たまには鏡の前に立って、自分の顔をよく見てみましょうね。