心のともしび 1日一編の法話
上記の文章は、日蓮聖人が中心的信徒であった四条金吾に向けてたしなめた言葉です。
金吾は同僚の讒言によって、領地替えという重い処分を受けてしまいました、新しい領地は依然の領地に比べて、へんぴな場所であり、かなりの不満を持っていました。
「悪いところであり、良いところが少しもないなどと言えば、天にも人にも見捨てられてしまいまよ、主君に対して悪いところ悪いところと言うべきではありません。むしろ良きところ良きところと言いなさい、そうすれば新たに領地を授かるかもしれませんよ。」
私事ですが、過去に数回土地勘もない場所に転居したことがあります、確かに環境が変わるとなれた場所、以前住んでいた所と比較し不平不満を抱きがちです。
しかし、その土地の(環境)のいい部分を考え、感謝するべきだと思います。
そのように生活すれば、また違う新たな根をはりたくましく生きていくことができるのです。
『住めばみやこ』ですね。
日蓮聖人はこの言葉が示す通り、お酒を嗜んだと言われています。
但し、享楽のためのお酒ではなく「薬」として飲んでいたと思われます。
信者から供物としてお酒が送られて来ることも多く、そのお礼状の中で
「このお酒を温めて飲んだら、体が熱くなり大変調子がよくなった、ありがたい」
と記されています。
身廷の山中の冬はとても寒く、その生活は過酷なことだったでしょう。お酒はそんな時に体を暖めるのにさぞ役に立ったのでしょう。
寒い季節になると、忘年会や新年会などお酒をもむ機会もどんどん増えてきます。
くれぐれも飲み過ぎにはご注意を・・・。
お酒は「百薬の長」でもあり飲み過ぎると「毒」にもなりますよ。
自分の適量をしり楽しい冬を楽しんで下さいね。
日蓮聖人が信徒に宛てた手紙で上記のような文章があります。
「世の中が平和な時代には賢人は現れない。しかし世の中が乱れてくると聖人と愚人が現れる。」
つまり世の中の動向を見据え、賢人と愚人を見極める事がとても大事であるという意味です。
永い中国の歴史の中でも、春秋戦国時代には国家を乱す愚かな王が次々と現れた、が一方では儒教を説いた孔子・道教の老子など優れた思想家も沢山現れた。
繰り返す歴史を振り返れば、確かに日本の歴史の中にもそんな時代があったように思う。
長期にわたり国を閉ざし、泰平ではあったが世界の進歩から取り残された江戸時代の後期から、海外の大国から開国を迫られる明治維新の日本がまさにそれにあたるのではないか?
吉田松陰をはじめその門下から近代日本の基を作りあげた、沢山の賢人が輩出された。 そのほとんとの賢人たちは下級士族であったことも大変興味深いと思う。
現代、世界はインターネットの発達により極端に狭くなったと思います。
遠い国の戦争がリアルタイムでテレビで目撃できる時代です。 よその国で起こっている事件は決して他人事ではありません。
個人的な見解では、愚人と思われる人物がすでに世の中に現れているように思います。
このような混乱の時代の中、一日も早く国民を平和へ導いてくれる指導者が現れることを切に願うばかりです。
日蓮聖人は「報恩抄」のなかで亡き恩師道善房に対し上記のように恩師への感謝の意を記しています。
花は美しく咲いてやがては散り、やがて果実はみのり熟して土に落ちその種子がまた新しい芽を育みます。同じように今の私があるのは師のおかげであり、私が積んだ功徳が師の成仏の助けとなるだろう。という意味です。
日蓮聖人が報恩というものをとても大事にしていたのが分かります。
私たちもこのことを忘れずに、 親・兄弟・先生・友人・ご先祖様 すべての人の恩に感謝し生活して生きたいものですね。
伊豆から鎌倉へ戻った日蓮聖人はある信徒から 「どのように法華経を修行すればよいか?」と聞かれてこのように答えています。
”奢りや高ぶり・思ったようにならないからといって怒る気持ちをまず捨てなさい。そしてただ教えを信じ、実践しなさい”
という意味です。
現在の世知辛い競争社会で誰かを蹴落とし、出世や名誉を手に入れたとしても、短い人生の中ではひとときの飾りにすぎません。
我を通して誰かと闘っても相手を傷つけるだけ、自分自身にも必ず将来の苦悩となってしまいます。
家族・友達・他人のためにどれだけのことが出来たか・・・これがささやかでも自分自身の「心の宝物」であり功徳を積むことになります。
今日も出来る事から頑張って始めましょう!