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                謹賀新年

 昨年1月16日入院療養中40分の心肺停止から奇跡的に生還し無事新年を迎えることができました
これひとえに仏天加護とお世話になった皆様のお陰と深く感謝しております。
今年は健康に留意して精進して参ります。
何卒本年も宜しくお願い申し上げます。

皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。     合掌  中山 浄敬

 

 

【浄敬的今年の漢字一文字 ~年末に寄せて~】

令和5年もあと数日を残すのみとなり、皆様におかれましては、何かと気ぜわしくお過ごしのことと思います、どうか健康に留意されて健やかで明るい新年を迎えられます事を心よりお祈りいたしております。

さて、この時期になると今年の漢字一文字、流行語大賞などとテレビで話題になってきます。
そこで私的な今年の漢字一文字を考えてみました。
私にとっての漢字一文字は「命」です。
今年1月に私は急に体調を崩し、病院に運ばれ心配停止状態40分という経験をし、死の淵をさまよいました。幸いなことに後遺症もなく生還することが出来ました、まさに奇跡です。ある日突然やってくる「死」を体現したことにより、「命」の儚さを改めて強く感じました。
また、今年は本当のたくさんの「命」が失われた一年であったと思います。
気候変動が原因とされる、森林火災・大洪水・干ばつ・食料危機・新たなウイルスの発生・・・・。など、そして現在も尚
進行中のガザの紛争問題、終わりの見えないロシアによるウクライナ侵攻により、何万人という人々が危険に晒され、住む家を焼かれ幼い子供の命でさえ無慈悲に奪い去られているのです。本当に多くの人々が、かけがえのないたった一つの「命」を奪われました。

今年亡くなった人々の命の数は単なる数字でとらえられるものではなく、それぞれ一人一人に家族がありこれから生まれてくるであろう子孫、歴史があるのです。
理不尽にも突然の災害や争いの犠牲となり、失われた「命」には脈々と続く、これからも続くであろう人間の生命の道があったはずです。
このような時代に生きる私たちは、今一度「命」の真の意味を考え、知るべきだと思います。

最後になりますが、今年一年たくさんの方々のご協力に深く感謝し、来る年のご多幸を心からお祈りいたします。
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。                                                   令和5年12月28日
                                    中山 浄敬

 

                                   

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檀信徒の皆様 こんにちは。
秋晴れの気持ちのいい日々が続いています。
しかし、世界では言葉に尽くせないほど非人道的な戦争や紛争が次々と起きており、明日は我が身のことのような不安な気持ちを皆さまお持ちのことと思います。
何が起ころうとも、平常心で心穏やかに過ごしたいものです。
そして一日も早く世界中の争いごとが平穏に終わりますように心からお祈りいたします。

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暑かった8月も終わろうとしています。まだまだ残暑は続きそうですが、9月のお彼岸には皆様そろってご先祖様に感謝の気持ちを込めて、手を合わせましょう!

9月17日(日)午前11時から
秋季彼岸会法要修行

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日ごとに暖かくなり、少しずつ春を感じる今日この頃です。
令和5年度 春季彼岸会法要のお知らせです。

3月19日(日)
午前11:00より

ご参加よろしくお願い致します。

 

 

皆さま 新年いかがお過しでしょうか?
穏やかに新年をお過しのことと存じます。
 私事ですが、一月前コロナに感染しまして、現在体調を整えて養生しております。
コロナもインフルエンザも人の行き来で増えているようでございます。
 疫病退散、どうか皆さま御尊体御自愛を心よりお祈り申し上げます。合掌
                         浄敬
 尚、了圓寺・立正寺の行事は、春のお彼岸からとなります。
何かとご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い致します。

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見えない神仏のお力で
疫病退散!南無妙帆蓮華経
                   令和5年1月11日

 

★【貞心の法話】辻説法 アップしております。
 一日一編の法話を是非ご覧ください。 (11/13)

 

ご報告いたします。

令和4年10月23日(日)
当山 前住職 四十世 聖浄院 日喨上人の納骨を済ませました。

父が亡くなりすでに2年。月日のすぎるのは早いものですね。
秋晴れのよき日に無事納骨を済ませる事が出来ました。
生前の皆さまのご厚情に感謝し、改めて心より御礼を申し上げます。 浄敬

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★★ 宗祖 日蓮大聖人御会式 辻説法 ★★

令和4年11月6日(日)
午前11時から

 

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★★秋季彼岸会法要修行★★

9月18日(日曜) 午前11:00より
ご参加お願い致します。

 

【浄敬展開催致します】

心を裸にして物事を見ると、色んなものが違って見えてきます。
私は日ごろからその様に努めております。
すると、自分自身が「裸メガネ君」として色んな場所や形で頭に出現します。
これまで書き溜めてきた作品の一部を皆さまにご覧いただき楽しんで頂きたく
【浄敬展】として了円寺客殿(百寿庵)に展示させて頂きます。
世界の名画のなかに裸メガネくんが登場する「名画シリーズ」をはじめユーモラスな作品60点余りをお楽しみ下さい。

開催日程は下記のとおりです。

期間:7月4日~お盆過ぎ頃まで
時間:9:00~18:00
場所:京都府綾部市西町 了圓寺内百寿庵

 

※お越しの際はご連絡をお願い致します。5759D0F1-3BD1-4314-BFA9-E80DFBEBE321.jpg

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私たち顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)は室町時代に開祖日什大正師(にちじゅうだいしょうし)によって開かれました。 当時も今とおなじように、日蓮大聖人を宗祖といただく宗派が林立しておりましたが、各宗派とも明治に至るまで固有の宗名を持たず。「法華宗」あるいは「日蓮法華宗」などと名乗っていました。私たちの宗派も、法脈を区別するために「日什門流」「妙満寺派」などの通称を用いておりました。 明治9年私たちは「日蓮宗妙満寺派」を公称しましたが、明治31年に宗派の教義をより明確にあらわす「顕本法華宗」に改称し今日に至ります。                  宗名の「顕本」とは、「開迹顕本」(かいしゃくけんぽん)という「法華経」の教えを表現した言葉からとられたものです。 その意味は「インドでご入滅されたお釈迦さまは、本当は今もなお永遠の命を持ち続け、常に人々に慈悲の心を注いでいらっしゃる」ということです。 この事は「法華経」の中心である「如来寿量品十六」(にゅらいじゅうりょうほんだいじゅうろく)の中にはっきりと説かれています。  この「法華経」の「如来寿量品十六」に示された、お釈迦さまを「ご本仏」と仰ぎ、お釈迦さまが説かれた最も深い真実の教えを、正しく純粋に受け持ち続けている宗派、それが私たち顕本法華宗なのです。

※顕本法華宗についてもっと知りたい方はこちらのページをご覧くださいませ。

http://www.kenpon.jp

(顕本法華宗公式ホームページ)

 

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 上記の写真は了圓寺の前拝に鎮座るする竜の彫り物です。
参拝者を長年見守り続けております。
この彫り物は度々地元の新聞などでも紹介されており、その一部を掲載させていただきます。

~以下掲載文~

 京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」西町の繁華街アイタウン3番街にある顕法華宗の了圓寺(りょうえんじ)の本堂の向拝の見事な柏原の名彫刻師第5代中井丈五郎橘正忠の龍の彫り物を見る。これは丹波柏原(現兵庫県丹波市柏原)や近畿各地の社寺に龍や霊獣などの数々の彫り物を作品を残した柏原の宮大工、彫刻師として有名な”中井権次一統”は「権次」と名乗るのは6代目正貞からである。この了圓寺の本堂向拝の龍の彫り物が発見されたのは兵庫県丹波市の植野記念美術館で716日~25日まで開催される「中井権次の下絵展」で下絵を調査中に新たに下絵と実際の彫刻作品が一致することが判明した貴重な事例の一つがこの了圓寺の向拝の龍の彫刻である。この下絵は幅が3メートルを超す長い作品で、勢いのある筆づがいで躍動感にあふれた姿が描かれているのが特徴です。しかし下絵に記されている文字は一部が破れ、「本」と「圓寺」としか読めなかったが、中井権次顕彰会はこの3文字を頼りに寺探しを始めた。以前の調査で「 阿やべ了圓寺」「了圓寺」と書かれた「獏に鷹」の下絵が見つかり第5代中井丈五郎忠正の記した「彫物細工萬覚帳」には「ばく」「志し(獅子)」に加えて「龍」を彫り、「阿やべ了圓寺」に納めたと言う記述があった。基本的に当時の下絵は実物と同じ大きさで描かれる中で、その書物には「龍」の高さが「壱尺三寸五分(約45センチメートル )長さ(幅)が「九尺七寸」(約3メートル20センチ)とあり、了圓寺の実物と一致すると判明した。