心のともしび 1日一編の法話
「ありがとう」人に感謝を伝える言葉です。
この「ありがとう」という言葉はお釈迦様の言葉であり、
人間としてこの世に生まれること自体が「有り難し・有る事が難しい」ほどの奇跡であると言われた事から生まれた言葉です。
人に「ありがとう」と感謝されて、嫌な気持ちになる人はいません。
喜んでもらえてよかった・・・。と幸せな気持ちになります。
このことを仏教で「自利自他(じりじた)」と言います。
自分の幸せが他人の幸せであり、
他人の幸せが自分の幸せである・・・。
「ありがとう」と人に感謝の気持ちを伝える事は自分も幸せにするんですね。
今日も誰かに感謝の気持ちを伝えましょう。
また、生きていることにも感謝の気持ちを捧げましょう。
まもなく1年になる、ロシアのウクライナ侵攻の戦い。
世界の一大事です。日々ニュース番組の冒頭には必ず何かしらの「一大事」が報道されています。
また、個々の人生においても、度々「一大事」にぶつかる事があります。
病気、転職、火事、災害・・・・。など
「一大事」は世の中にあふれています。
私たちが、頻繁に使っている「一大事」という言葉も実は仏教に起因する言葉です。
「諸仏世尊は、唯(ただ)一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」とあり
仏がこの世に出現するにあたっての最大の目的の事です、これが一大事という仏教においての意味なのです。
私たちが何気なく使っている、言葉にも沢山の仏教にまつわる言葉があります。
面白いものですね。
仏教のおいての「死」とは「生」の一部であり、切り離しては考えられでいません。
この世に「生」を受けたからには必ず「死」がやってきます。
誰も「死」から逃れる事は出来ないのです。
いつか必ずやって来る「死」を意識するからこそ一日の「生」を大事に生きることが出来るのです。
江戸時代末期に「奇兵隊」を組織した高杉晋作は牢にとらわれの身である吉田松陰に手紙を出し、「死」について質問をしました。
それに対しての松陰の書簡がとても興味深いものです。
死は好ムベキにも非ず、また悪むべきにも非ず。
道尽き心安んずる、便ち此死所。
世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶるも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
吉田松陰も高杉晋作も共に、20代という若さで亡くなっていますが、この死生観には非常に感銘を受けます。
松陰は程なく斬首される運命であり、晋作は肺結核を患い、間もなくやって来るであろう「死」を強く意識し、その中で自分の成すべき事を深く考え生きていました。
つまり、人生は長さではなく、限り有る人生だからこそ、その中でどのような死に向かう(生き方)をするかというプロセスが大事だという事だと思います。
仏教の根源には因果の法則があります。
原因があるから結果がある。蒔いた種はか必ず芽吹き、蒔かなければ芽吹くことはありません。
六波羅蜜とは、お釈迦様が説かれた六つの善の事です。
・布施(親切) ・持戒(言行一致) ・忍辱(忍耐)
・精進(努力) ・禅定(反省) ・智慧(修養)
簡単にまとめると、我欲を張らず 人には親切にし、正直でおおらかである事、
世の中に対して広い目を持つために、謙虚な態度で努力を惜しまない事
実に簡潔なあるべき人の姿だと思います。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし わかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは なりたい。
宮沢賢治 のこの詩が心に浮かびますね。