心のともしび 1日一編の法話

2023-02-12 13:26:00

 仏教のおいての「死」とは「生」の一部であり、切り離しては考えられでいません。
この世に「生」を受けたからには必ず「死」がやってきます。
誰も「死」から逃れる事は出来ないのです。
いつか必ずやって来る「死」を意識するからこそ一日の「生」を大事に生きることが出来るのです。

 江戸時代末期に「奇兵隊」を組織した高杉晋作は牢にとらわれの身である吉田松陰に手紙を出し、「死」について質問をしました。
それに対しての松陰の書簡がとても興味深いものです。

 

 死は好ムベキにも非ず、また悪むべきにも非ず。
 
 道尽き心安んずる、便ち此死所。
 
 世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。
 
 心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶるも損なきなり。


 死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。
 
 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

 

吉田松陰も高杉晋作も共に、20代という若さで亡くなっていますが、この死生観には非常に感銘を受けます。
松陰は程なく斬首される運命であり、晋作は肺結核を患い、間もなくやって来るであろう「死」を強く意識し、その中で自分の成すべき事を深く考え生きていました。
つまり、人生は長さではなく、限り有る人生だからこそ、その中でどのような死に向かう(生き方)をするかというプロセスが大事だという事だと思います。