心のともしび 1日一編の法話

2022-11-12 10:12:00

 上記の文章は日蓮聖人が古い中国の故事を引用し、法華経の改宗したことで父に勘当され苦しい生活を余儀なくされている池田宗仲・宗長兄弟に宛てた言葉です。

 中国の故事とは周王朝に仕えていた、人柄も頭もすぐれた兄弟がいました、しかしある事情により山奥に隠れ住むようになり、食べる事にも事欠く苦しい生活をしていました。
その兄弟を不憫に思った天が、白鹿となり兄弟の前に現れ、乳を与えます。彼らはその乳で何とか命を繋いでいました。
がある日、この白鹿を殺し、肉を食べようと言い出しました、その言葉が天の怒りを買い、白鹿を姿を消してしまいます。
兄弟はやがて餓死をすることになりました。たった一言のために・・・。

 「朝令暮改」という言葉もありますが、昨日言ったことをすぐに撤回する現総理大臣の事を頭に浮かべてしまいます。
発言は慎重にすべきだという事ですよね・・。
 一度口からでた言葉は、取り消すことが出来ません。行いや言動は十分に考えてから…これまでの大切な物を失う大事になるかも知れません。



 

2022-11-11 10:58:00

 日蓮聖人はこの文章に続けて「さいわいは心より出でて我をかざる」と言っておられます。何気なく口から出た言葉が相手を傷つけ敵を作り、ついには災いのもとになる。
一方心のこもった言葉は幸いをもたらす」という意味です。

 発信元の顔が見えないSNSでの誹謗中傷などによって、若い人の自殺事件を時折ニュースなどで見かけます。
自分がやられて嫌なことは相手も嫌です。「日々三省」で!

 

 

2022-11-10 09:13:00

 上記の文章は、日蓮聖人が中心的信徒であった四条金吾に向けてたしなめた言葉です。
金吾は同僚の讒言によって、領地替えという重い処分を受けてしまいました、新しい領地は依然の領地に比べて、へんぴな場所であり、かなりの不満を持っていました。

 「悪いところであり、良いところが少しもないなどと言えば、天にも人にも見捨てられてしまいまよ、主君に対して悪いところ悪いところと言うべきではありません。むしろ良きところ良きところと言いなさい、そうすれば新たに領地を授かるかもしれませんよ。」 

 私事ですが、過去に数回土地勘もない場所に転居したことがあります、確かに環境が変わるとなれた場所、以前住んでいた所と比較し不平不満を抱きがちです。
しかし、その土地の(環境)のいい部分を考え、感謝するべきだと思います。
そのように生活すれば、また違う新たな根をはりたくましく生きていくことができるのです。
 『住めばみやこ』ですね。

2022-11-09 09:46:00

 日蓮聖人はこの言葉が示す通り、お酒を嗜んだと言われています。
但し、享楽のためのお酒ではなく「薬」として飲んでいたと思われます。
 信者から供物としてお酒が送られて来ることも多く、そのお礼状の中で
「このお酒を温めて飲んだら、体が熱くなり大変調子がよくなった、ありがたい」
と記されています。
 身廷の山中の冬はとても寒く、その生活は過酷なことだったでしょう。お酒はそんな時に体を暖めるのにさぞ役に立ったのでしょう。

 寒い季節になると、忘年会や新年会などお酒をもむ機会もどんどん増えてきます。
くれぐれも飲み過ぎにはご注意を・・・。
お酒は「百薬の長」でもあり飲み過ぎると「毒」にもなりますよ。
自分の適量をしり楽しい冬を楽しんで下さいね。

2022-11-08 11:02:00

 日蓮聖人が信徒に宛てた手紙で上記のような文章があります。

「世の中が平和な時代には賢人は現れない。しかし世の中が乱れてくると聖人と愚人が現れる。」
つまり世の中の動向を見据え、賢人と愚人を見極める事がとても大事であるという意味です。

 永い中国の歴史の中でも、春秋戦国時代には国家を乱す愚かな王が次々と現れた、が一方では儒教を説いた孔子・道教の老子など優れた思想家も沢山現れた。
繰り返す歴史を振り返れば、確かに日本の歴史の中にもそんな時代があったように思う。
長期にわたり国を閉ざし、泰平ではあったが世界の進歩から取り残された江戸時代の後期から、海外の大国から開国を迫られる明治維新の日本がまさにそれにあたるのではないか?
 吉田松陰をはじめその門下から近代日本の基を作りあげた、沢山の賢人が輩出された。 そのほとんとの賢人たちは下級士族であったことも大変興味深いと思う。

 現代、世界はインターネットの発達により極端に狭くなったと思います。
遠い国の戦争がリアルタイムでテレビで目撃できる時代です。 よその国で起こっている事件は決して他人事ではありません。
個人的な見解では、愚人と思われる人物がすでに世の中に現れているように思います。
このような混乱の時代の中、一日も早く国民を平和へ導いてくれる指導者が現れることを切に願うばかりです。