親は子のために懸命に働いて財を残し、子はあたりまえと財を使い、孫の代には落ちぶれるという「親しんぼう(辛抱)子らく(楽)孫こじき(乞食)」という言葉があります。
親が大きな遺産を残すと、必ずといってよいほど争いが生じます。「財あれば憂え財なければ悩む」となり、財ある憂いは争いの種。諺に「児孫のために美田を買わず」とあります。日常経験から生まれた古くから言いならわされた諺は、生活の知恵であり大切な人生の教訓です。
暮らしを立てるにはお金を儲けねばなりません。漢字の「儲」を分解すると「信」と「者」です。人を「信」じ仕事を「信」じ神仏を「信」でて、ひたすら努力する「者」になれば儲かります。
しかし、物や金だけではひからびた暮らしになってしまします。 豊かな心に物や金が加えられると何倍もの豊かさになります。物と心は両輪であり片車輪では進みません。
物質やお金だけではなく、自然や人を思いやる心が協調されねばならない今の世の中です。
昔の子どもは親や先輩、隣近所の多くの人の後姿を見て育ったものです。今は人間同志の関係がうすれて損得でものを考え判断する傾向が強くなっています。 いわゆる頭でっかちの知識のある人(ものしり)は沢山いますが、常識のある人が少なくなっています。
常識とは人の踏み行うべき道、正邪善悪を判断し自然や文化、物事に対する人間のあるべき態度、尊敬の念など、一般人が持っているべき一般的知識のこと。要は自分さえよければよいの傲慢さを捨てねばなりません。
この世の中はさまざまなことが規模の大小はべつにして、人との約束ごとによって成り立っています。人と人との約束が守られていれば信頼という心のつながりで信用が膨らみます。
人間の心には良心と我欲の両面があり、我欲がのさばれば良心は隅に追いやられ、我欲がひっこめば良心が頭をもたげて人間の行いが違ってきます。 人間の信用とは、日頃の小さな約ごとでも大切にする努力の積み重ねから得られるものです。