心のともしび 1日一編の法話

2022-08-18 11:25:00

 自分の思うことが叶えば喜び、思うことが叶わねば憂うのは当たり前のことですが、思うようになったと満足し得意顔になっては進歩の止まった証拠。
亡ぶる所以となります。しかし思うようにならず失意しても決然と立ち上がれば道は開けます。

 「憂きことの尚この上に積もれかし、限り有る身の力試さん」
江戸後期の儒学者熊沢藩山は、気力のある者は殊更困難に出逢うことを欲するとも詠んでいます。
順境にあっても誇らずに、逆光にあっても人の道とすべきを尽くすことは大切です。

 

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2022-08-17 11:26:00

青年は未来を夢み、老人は過去を語るといわれるように、若い人にはそれぞれに希望があり楽しみもあります。
老境に入ると希望も消え去り、見るもの聞くものが悲観の種となって過ぎし時代の愚痴となります。

 凡そ人と生まれて生涯の間、何等の出来事に遭わずして一生を過ごす人はなく、自分の一生を光輝あるものにするには、
苦悩に負けるか打ち勝つかです。

 苦の中に楽を見出し、有限の中に無限を味わうことが大切です。

2022-08-16 10:51:00

中国小説西遊記の孫悟空は「如意棒」で思いのままに天空を操り、お釈迦様の方力によって鎮圧され三蔵法師に随伴して天竺から
大乗経典を持ちか言った怪猿です。

「如意」とは思いのままになること。お釈迦様は「人生は苦なり」と説かれていますが、人生は思いのままにはなりません。
「人は生まれて喜ばれ、老いて邪魔にされ、病人で嫌がられ、死んで忘れられる」という言葉のように意のままの人生は歩めません。

 苦労の性質が違うだけで誰にでも、どこにでも艱難辛苦、「人生行路難し」です。

 

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2022-08-15 10:41:00

 人間は「独り」という深いめざめの中で淋しさを知ります。
 「あなた」は「私」になることはできないのです。
誰一人をして代わってくれる者はいません。生ぜしも一人、死するも一人なり。
 どこにいても私は一人、たった一つの命にめざめた人生。

この「ひとり」の自覚を忘れてはいませんか。

 

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2022-08-14 13:02:00

この世の幸、不幸はより合わせた縄のように常に入れ変わりながら変転します。
このことはあらかじめ定まった門から入ってくるのではなく、自らの所業が招くものです。

 死について「朝(あした)ひは紅顔ありて夕べには白骨となる」命は今あると思っていてもいつ終わるか分かりません。
この言葉を頭で分かったつもりで生きています。災害は外からばかり来るとも限りません。 むしろ自分自身の内にあることに気が付きたいものです。

 

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