心のともしび 1日一編の法話

2022-06-08 09:38:00

 人間は誰でも自分を愛し大切にします。
他人も自分も命の根源は一つであり、同じ方向にたって一つのもんを見つめると、他人の喜びや痛みが自分のことのように感じられます。

 風呂の湯を手で向こうへ押しやればこちらに返ってくるように、こちらにかき寄せれば向こうへ行って今うように、人に尽くし与えゆずる、
この行為が自分の喜びを深くします。

共存共栄は人の世の法則です。

 

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2022-06-07 10:11:00

 相手の人から受けた親切などに対して、感謝の意を挨拶語に「お蔭様」があります。

 おかげとは、神仏が力を加えて人間を護る、神仏の助けです。
 また、おかげをもらって九死に一生を得たなどというように、おかげは感謝から生まれる人の喜ぶ心です。

 「普天同慶(ふてんどうけい) 日月増輝(じつげきぞうき)
 天下の人々が喜びあっていると、日と月はますます輝きを増して皆を照らすように、天は大きな幸いを授けてくれるのです。
笑顔で感謝したいものです。

 

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2022-06-06 10:16:00

 世間では仏壇の掃除、線香、膳のあげさげをよく行う人を信仰深いとか信仰心があるといいますが、この人はただ先祖に
感謝御礼を表現しているのです。
 私たちが信仰する対象は絶対に信頼できるものでなければなりません。

 信仰とはお釈迦さまの教えを心の底から信じ、お釈迦様に身も心も捧げるという敬いの心をいうのです。

 信仰する者にとって最も悪いことは増上慢(ぞうじょうまん)です。 人前で最もらしい口をきいたり、自分こそ信仰心が強いのだと
形の上だけで主張し、内心適当にやっているにすぎないなどは、釈迦さまはお見通しです

 いつも反省し修行する「ひかえめ」な心構えこそが信仰する者の態度です。

 

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2022-06-05 06:54:00

 人間は心のどこかに不安や不満の悩みがあり、この煩悩を断ち切ろうと努力するところに信仰の芽が生まれます。
しかし信仰というのは信じ切ってすべて任せてしまう不思議は魔力を持っています。

 こんな不思議な魔力を持つ信仰には充分注意し、目先の甘い汁にまどわされぬよう、心身の鍛錬を積まねばなりません。

 

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2022-06-04 09:04:00

 お釈迦さまは、私たちが人間に生まれてきたことのありがたさを次のように例えられています。
 「大風が吹くとき、地上に一本の針を立て、高い山の頂から糸をたらす。その糸が地上に立てた針の穴に通るよりもなお おありがたいことである。
人間に生まれてくることの難しさを、ありえない絶無のたとえで教えられています。

 人間に生を受けた稀有な人生を無駄に費やしてはなりません。
自他の身を粗末に扱ってはなりません!
 自分のあり方を大いに反省せねばなりません。

 

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