心のともしび 1日一編の法話
つい先日まで寒い寒いといい、身を縮めて歩いていた事が嘘のように暖かい今日この頃、桜の開花宣言も間近です。
日蓮聖人が残した書簡の中に、上記のようなに「桜」に関する記述があります。
寒く厳しい冬を乗り越え、武骨な枝から可憐な花を咲かせる桜のように、人の心の中には仏の心が宿っている。
だからこそ、仏の心に触れながら、地に足をつけ辛いことを乗り越えてこそ幸せがある。
日本には古くから生活の中に仏の教えが息づいています。
我々日本人がこれほど桜の花に魅了されるのは、桜の花の潔さ・可憐さ・強さ等によるものでしょう。
コロナ感染症により長い外出制限下にあった状況でも、毎年桜の花は変らず咲いていました。
行動制限が緩和された今年の桜は、きっと私たちの心に感動を与えてくれると思います。
「竹」にまつわる禅語に「竹有上下節」(竹に上下の節あり)とあります。
竹には上下に沢山の節がありますが、上下はそれぞれ形も大きさも違います。
しかしその一つ一つには優劣の差はなく、しなやかで強い「竹」を形作る大切な物です。
人間社会でも一人として同じ人はいません、親と子、上司と部下など社会的な上下関係はあっても皆平等です。
男女の区別はあっても、それは差別であってはなりませんね。
ジェンダーフリーが盛んに叫ばれる昨今、今一度「竹に上下の節あり」という言葉の持つ意味を深く味わって生きたいと思います。
また「病は肉より起これば治しやすし、節より起これば治しがたし。」
と日蓮聖人は言われました。
節というのは厄年の事と思われます。この言葉を心にとめて、厄年を穏やかに過ごしていきましょう。
行雲流水的な生き方・・・?
風が吹けば風に身を任せ流されよう。
流れる川の中では無理に岩にしがみつくことをせず身を任せる。
このように、何事にも執着することなく生きていけたらどんなに楽であろうか?
いやいや、これはかなり難しい生き方かもしれません。
本来人間には、沢山の欲があり、欲するものを手に入れる為に時には人と争うこともあります。
その上で達成感という喜びを得るのです。
その喜びをすべて達観した人こそが「行雲流水」的な生き方を実践できるのです。
柳の枝はゆらゆらと風に揺れ、しかし折れることはないのです。
誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。
「一期一会(いちごいちえ)」という言葉。
一期というのは仏教では人が生まれてから死ぬまでの間・一生の事です。
また、茶道を確立した千利休の言葉として認識されている方も多いと思います。
今日たまたま電車でとなりに座った人とは、おそらく今後二度とは会う事はないかもしれません。
そう考えると人と人の関わり合いが楽しく感じられます。
今、近しく付き合っている友人との最初の出会いを考えてみてください。
どのようなきっかけで言葉を交わすようになったのでしょうか?
数十年前にたまたまクラスが一緒だった・家が近所だった。
何かのきっかけで親しくなり、その後の人生においては何十年来の親友となった・・・。
このような事があるのではないでしょうか?
人は一人では生きられません、一期一会を大切にし、より良いい人生を歩んでいきたいものですね。