心のともしび 1日一編の法話
仏教の根源には因果の法則があります。
原因があるから結果がある。蒔いた種はか必ず芽吹き、蒔かなければ芽吹くことはありません。
六波羅蜜とは、お釈迦様が説かれた六つの善の事です。
・布施(親切) ・持戒(言行一致) ・忍辱(忍耐)
・精進(努力) ・禅定(反省) ・智慧(修養)
簡単にまとめると、我欲を張らず 人には親切にし、正直でおおらかである事、
世の中に対して広い目を持つために、謙虚な態度で努力を惜しまない事
実に簡潔なあるべき人の姿だと思います。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし わかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは なりたい。
宮沢賢治 のこの詩が心に浮かびますね。
私たちはこれまでの人生において、沢山の「諦める」を経験してきました。
この場合の「諦める」は、願った事がかなわず、断念する。というネガティブなイメージで捉えられています。
が、「諦める」の語源を見ていくと、「明らかにする」「明らむ」とあります。
仏教では「諦める」ことによって、前へ進むという教えがあります。
コロナウイルスの蔓延によって、世界は多くの命を失いました。
その経験から、人類は努力だけではどうすることも出来ない事がある事を学び、
ウイルスを「根絶」する事を諦め「共存」する道を選んだのだと思います。
「断捨離」も同じ事です。
思い切って、捨てる事によって、自分にとって本当に必要な物、必要な人が見えてくるのだと思います。
仏教の用語で「四弘誓願」という言葉があります。
仏道を求める者が修行に入る前に立てる四つの誓いの事です。
1.全ての人々を救う
2.全ての煩悩を絶つ
3.全ての教えを学ぶ(知る)
4.悟りを得る
言葉にすると、なかなか難しいく感じますがこれはすべて、自分自身の為だと思えればいいのです。
人の為に何かをしようと考える事こそ、自分自身の行動の原動力になるのですから・・・。
明日2月4日が立春です。
二十四節季において、春の始まり、一年の始まりの日とされています。
前日の今日は、邪気(鬼)を払い新しい年を気持よく迎えるための節分です。
スーパーの陳列棚には鬼のお面や箱にはいった豆が所せましと並んでいます。
「鬼は外 福は内」と言いながら豆をまいた経験は誰しもあるはずですね。
暦の上では春となりますが、まだまだ寒い季節は続きます。
昨今のニュースを見ると、決して生きやすい時世ではありませんが、せめて内なる鬼を追い払い
良い一年にしたいものですね。
自分が行った事は必ず自分に帰って来るという「因果の法則」があると日蓮聖人は言われました。
人間関係において、人を軽く見れば 自分も軽く扱われる、という意味で、
結果には必ず原因があり、その原因は自分の行いであるという意味です。
春に種を蒔けば、やがて花が咲き実が熟します。
人に親切にすれば、自分が困った時には人が慰めてくれます。
暴飲暴食をすれば太ります。
不摂生な生活をすれば、病気になり苦しむことになります。
全て自分の行いが原因なのです。
「鏡に向かって礼拝すれば、鏡に映った像もこちらを礼拝する。」