心のともしび 1日一編の法話

2022-09-14 09:13:00

 人間はおのおの個性を持ち、歴史を背負って生きています。
血のつながり情のつながり、すべて割り切れない不思議さのなかで他人に迷惑をかけたり、怒ったり笑ったり、嘘をついたり善いことをしたり、あらゆる経験を積んで自身の人格を作りあげていきます。

 心に迷いが生じ不安になると、祟りをする悪鬼がその人の肉体に入り込んで乗り移り憑依することがあります。
 仏教でいう「悪鬼入其身」です。
自分の為ばかりでなく周囲への大きな影響力も考え迷妄してはなりません。

 

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2022-09-13 08:59:00

 葬式の意味の一つは目の当たりに逝きし人の姿を見ることにより、忘れていた死、無常の足音をごまかすことなく聞き、見据えることではないかと思います。
 逝きし人が一生も最後に自分の全身心をあげて後に残る者たちに残す遺言の一言があるとしたら

「死ぬんだよ、あなた方もこの私のように必ずその日がやって来る。しかもいつやって来るかわからない。予告なしに、いつ死んでもよいように毎日毎日時間を大切にいきなされ」

ということではないかと思います。
 この一言を心の奥から聞く、それが葬式の意義であり、そのように毎日毎日を真剣に生きること、それこそが亡き人への真の供養となるのだとおもいます。

 

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2022-09-11 23:44:00

 仏教では正しきことにひたすら努力・励むことを精進と教え、反意語にはなまけおこたることをさす懈怠があります。

 なまけは貧乏の温床として強く戒めています。精進には貧乏はありません。

 「右は極楽、左は地獄こころ一つが道しるべ」。
貧乏の温床を須つらぬ為にも懈怠の心をおこさず、ただひたすら精進して、正しく世を益し自分も益してゆく共存共栄で繁栄する精進に徹せねばなりません。

 

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2022-09-11 11:25:00

 「近くに行ったのでついでに墓参りをして来た」という「ついでに…」の言葉を耳にします。
 家来がついでに主君を訪ねるようなことは筋道が違い慎むべきことです。

 日本人は、一定の考え方にとらわれることなくどんな事態にも対応できる融通性を持ち、和を尊ぶ優秀民族です。
しかし今の政界や経済界の混乱の一因は、責任をとる人の少なさとけじめのなさにあります。
 良いこと、悪いことの意味あいを態度や行動ではっきりさせることが大切です。
「ちょっとついでに」という言葉の使い方の意味を考える時ではないでしょうか。

 

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2022-09-10 09:36:00

 人間の一生はたった一度です。後になって悔いることのないように、試行錯誤しながら暮らすことが大切です。
 若いうちに有名なったり金持ちになってしまうと、必ずしも幸福とは限らないとよくいわれることです。
そのことが原因ではなく、そのことによって起こる思い上がりや奢り、ぜいたくをするなどの怠け心の高まりが「ウサギとカメ」の寓話になるのです。

 才能はなくとも、辛抱強くコツコツ努力すれば、才能ある人間に勝つこともあるのです。
与えられた一生をゆっくり休まずに歩いて行きたいものです。

 

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