昔の子どもは親や先輩、隣近所の多くの人の後姿を見て育ったものです。今は人間同志の関係がうすれて損得でものを考え判断する傾向が強くなっています。 いわゆる頭でっかちの知識のある人(ものしり)は沢山いますが、常識のある人が少なくなっています。
常識とは人の踏み行うべき道、正邪善悪を判断し自然や文化、物事に対する人間のあるべき態度、尊敬の念など、一般人が持っているべき一般的知識のこと。要は自分さえよければよいの傲慢さを捨てねばなりません。
この世の中はさまざまなことが規模の大小はべつにして、人との約束ごとによって成り立っています。人と人との約束が守られていれば信頼という心のつながりで信用が膨らみます。
人間の心には良心と我欲の両面があり、我欲がのさばれば良心は隅に追いやられ、我欲がひっこめば良心が頭をもたげて人間の行いが違ってきます。 人間の信用とは、日頃の小さな約ごとでも大切にする努力の積み重ねから得られるものです。
人間の一生は一日一日の積み重ねです。人の顔つきは日ごろの考え方、行いが積もり積もって形作っています。
人の顔ほどその人の人生を物語っているものはありません。悪をなせば、おのずとそれらしき人相になって来るから不思議。
無常の人生において「今をただっしく生きる」ことの大切さを噛みしめ、柔和な人相形成に努めましょう。
自分をよく見せたいという気持ちは人には誰にでもあります。
心にもないお世辞、いつわりの言葉や誠意のない行動は、やがて相手に見破られ見下されてしまいます。
うわべだけをつくろって言葉や態度ではなく何事にもいつわりのない真心で対処したいものです。
「人は見掛けによらぬもの」