心のともしび 1日一編の法話
「魔」とは修行を妨害し邪魔する働きのことと仏教では教えています。
日蓮聖人は油断をする心があれば、すかさず魔が忍び寄ります、注意するように!と言われました。
私の知人曰く「だろう手を打つな!」ビジネスの世界ではよく使うそうです。
伝えたであろう・・・。 終わっただろう・・・。などと思い込むことによって取り返しのつかない失態に繋がってしまうというのです。
確かに、免許を取ったばかりの若いドライバーは最初のうちは緊張感をもってハンドルを握り、一時停止・左右確認をおこたりません。が若葉マークのとれる1年くらいたったころには、対向車が止まってくれるだろう・・・。 歩行者は飛び出してこないだろう・・・。と油断し交通事故を起こしやすくなるのと同じですね。
私たちも日々程よい緊張感をもって現状になれ過ぎず、油断をしないように気をつけましょう!
三軍の帥(すい)を奪うべきなり匹夫(ひっぷ)も志を奪うべからざるなり
これは論語の一説です。
私の古い知人で、企業を創業した社長が新入社員や若い社員を鼓舞するときによく使っていた言葉です。
大軍であってもまとまっていなければ、その総大将を討ち取る事は可能であるが、たとえ身分の低い者でも強固な意志を持っていれば、その気持ちを変える事はできない。という意味です。
「王地に生まれたれば身をば髄(したが)えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」
これは日蓮聖人の【操時抄】でのお言葉です。
どちらの言葉も伝えているのは、人間の心は自由であるし、どんな力をもっても支配する事は出来ないという事です。
人は誰でも何かに縛られています、仕事・約束事・社会の常識・・・。それは仕方のないことですが、心まで縛られてはいませんか?
心をフリーにして今日ものびのびと生きたいものですね。
日蓮聖人は、強敵の存在こそが人を成長させると言われました。
資本主義の基本原理である自由競争の考え方である「競争の原理」
褒めたたえてくれる味方の存在だけでなく、強敵(ライバル)の存在が非常に大事であるという事をすでに知っておられたのですね。
まもなく開催されるサッカーのワールドカップ、日本代表の成長の陰にもそれぞれの選手には必ずライバルの存在があり、その存在が、世界の舞台で戦えるスキルを持つにいたったのだろうと思います。そういう視点でワールドカップを楽しむのも一興かと思う今日この頃です。
そういえば、先月亡くなったアントニオ猪木選手にもジャイアント馬場選手というライバルの存在がありましたよね…。
日蓮聖人は 「人の衣服や食料など大切な物を奪えば必ず自分も飢餓に陥るでしょう」と人々を戒めています。
人間の欲には限りがなく、会社の中で出世したいとか、お金持ちになりたいとか様々ですが、そのために人の手柄を横取りしたり、大切な物を奪ったりしたら必ず報いを受けますよ。
目線を変えて現状に満足しすれば、飢えや渇きから解放されます。欲望を断つことは難しいことです。
が、日々の生活の中での些細なことに感謝し、現状に満足し、精神的に満ち足りた生活を送りたいものですね。
「吾唯足知」足るを知る心で。