何気なく毎日を送っている私たちの周りには、事故や災難にあったり病気になったりして苦しんでいる人たちが大勢います。自分の身に降りかかってこなければ安穏な日として過ごしています、
「生あれば死あり」。死の悲しみは誰しも生涯のうちで何度かあります。その悲しみや苦しみが大きければ大きいほど修行するための「種」となって魂を磨くのです。
仏様の前に立って手を合わせ、「自分は今、仏様の後光に包まれている」とそう思った時、ほんとうに後光に包まれるから不思議です。
「人事を尽くして天命を待つ」